2013年3月3日日曜日

Scalaカンファレンスで熱気を感じた話 #scalaconfjp

3/2 土曜日に開催された Scala Conference in Japan 2013 に参加してきた。

僕が勤めている会社が、本カンファレンスでスポンサーをさせていただいた事もあり、乙女ゲーム開発の事例紹介を発表する機会も貰った。

そこで感じたいくつかのことをまとめておきたいと思う。

■お祭り感がすごかった
今回、このカンファレンスに参加した人みんなが感じたことだと思う。
懇親会の後、@mumoshuさん、@takashima0411さんとも自由が丘の焼き鳥屋で興奮冷めやらず、同じようなことを語り合っていた。
とにかく、お祭り感というか、熱気がすごかった。

これまで、Scala使いが抱いていた、こういうお祭りへの希求とか、フラストレーションとか、そういうのが一気に爆発した感じ。
僕は「10年前のJavaの熱気」とか「Seasar全盛期の勢い」とかは体感していないのだけれど、ソフトウェア開発者として、こういう熱気の渦中に混ざることができて、とても幸福で幸運だと思った。

■紛れもなく、その日の日本のScala界の中心はあそこだった

ブログとか、Twitterとか、雑誌記事とか書籍とか、おおよそScalaという言語を日本でウォッチしていて目にしてきた人たちが、ほぼ全員あそこにいた。

これまで、Scala勉強会とか、そういうものを開催して、50人くらいの人が集まることはあった。けれどそういうところで出会う人達というのは、「Scalaに興味がある」とか「Scalaをこれから学びたい」という人達だった。もちろん、そういう人に集まってもらう意図で開催していたりするし、そういう人達と出会ってコミュニケーションをとることはとても大切なことなのだけれど、実際にScalaを使って仕事をして、同じような悩みを乗り越えてきた人達があれほど集まる場はかつてなかった。

自分たちが悩んだり乗り越えたことを、みんなも同じように乗り越えてきていて、そういう情報とか、感覚とかをあれだけの人数とともに共有できたのは凄い経験だった。

特に、ドワンゴの@mtgtoさんの発表はPlay2+Scalaという自社と同じ構成で、共感できることがとても多かった。どうしてもお話したくて、懇親会の最後で少しだけ声をかけさせてもらい、テストの話とか、今自分たちが自社の開発で悩んでいることについて話を聞けたのはなによりの収穫だった。どうもありがとうございました。

■土佐さんの発表がすごかった。

個人的に今回のカンファレンスのベスト発表は、プレゼン力という意味ではJames Roperさんの超絶ライブコーディング( & IntelliJステマ)。そして内容は土佐さんの発表だった。

三菱UFJインフォメーションテクノロジー株式会社、というお固い銀行系のシステムでのScala事例。これはこのカンファレンスの規模と内容だからこそ実現できた発表だと思う。

プログラム言語が普及するためには、ぼく個人としては、やはりNTTデータさんとか、富士通さんとか、日立さんとか、そういう"ITベンダー"と呼ばれる会社が手がける開発での導入と、そのプロジェクトでの成功が必要だと思っている。

そしてそういう会社の案件で導入されるということは、銀行とか、商社とか自治体とか、そういうところをターゲットとしたシステムで利用されるということだ。

ぼくもScalaという言語を普及するために、去年からいろいろなところで自社の事例紹介を発表してきた。しかし、いくら乙女ゲームの開発事例を紹介したところで、実際に導入した後の人達には参考になっても、これから導入しようとする人々の後押しにはならないのだ。

「フリューさんの発表面白かった。やっぱりWebアプリの開発はある程度自由にやれるんですね。羨ましいなー」そういう感想を何度も頂いた。業務系の現場で、実際にScalaを導入してもらうためには、乙女ゲーの開発事例ではダメなんだ。

そんな中、土佐さんの発表はひとつの楔を打ち込んだ発表だったと思う。懇親会でも土佐さんは、「自分はそういう役回りだと自覚して今日の発表にのぞんだ」とおっしゃていた。本当に素晴らしかった。

■ぼくの発表のこと

ぼくも自社のスポンサー枠でのセッションで、事例紹介をしてきた。




「乙女ゲームを支える技術」のファイナルエディション。
Play勉強会とか、Scala勉強会、関数型言語勉強会など、あちこちでお話してきたこの内容も、今回のイベントで一巡した感があるので、最後にしようと思う。

毎回、お話を聞いてくださった人から嬉しいフィードバックをたくさん貰った。
懇親会である方から「だいくしーさん、もうそろそろいいのでは?」とのご意見ももらったけどw

次に発表機会をいただけたら、次は新作を用意しようと思う。

■最後に

他にも、会社の同僚であり、本カンファレンスの衝撃の個人スポンサー@mumoshuさんのLTとか、いろいろありすぎてすべてをここには書ききれないけれど、本当に素晴らしいカンファレンスだった。もし、次もあるなら必ず参加したい。

スタッフのみなさん、どうもありがとうございました!!

P.S.
ぼくはなぜ『scala逆引きレシピ』を持って行かなかったんだ。。。竹添さんにサインをいただくチャンスだったというのに。。。。。。


2013年2月26日火曜日

ドラクエ7のパズルが解けんのでコード書いた。

ドラクエのバロックタワーのパズル。
図に書いても全然解けん。

で、あやぴーさんもコード書いて遊んでたので、ぼくもコード書いて解くことにした。


組み合わせを作るところで力尽きで超適当になってるけどww

とりあえず解けた。
やっと先へ進める。

2013年2月22日金曜日

飯野賢治さんのこと



木曜日の朝。なんとなく胸がムカムカして、便の調子も良くないので午前半休を取って体調を整え、午後から出社しようと思った。

そうこうするうちに寒気がひどくなり、体温を計ると39度もある。いわゆるノロウィルスとやらにやられたらしい。

数えきれないほどトイレに行き、バランスを崩してトイレのドアノブに頭を強打するなど命の危険を感じながらの闘病。

ぼくが熱を出して寝こむ時には、なぜかきまって悲しい事件がおきる。

2001年にインフルエンザで寝込んだ。9月11日。布団の中からWTCが倒壊するのを見た。

東日本大震災のあった日。熱を出して会社を早退。最初、地面が揺れているのか、自分が熱にうなされてふらふらしているのか、しばらく理解できなかった。

いいかげん眠っているのにも疲れたので、iPhoneを寒気でガタガタと震える手でつかみ、Twitterを見た。

ぼくが熱を出して寝こむ時には、なぜかきまって悲しい事件がおきる。

飯野賢治さんが亡くなった。なんということだ。

ぼくはセガ・サターンに移植された「Dの食卓」から「エネミー・ゼロ」「リアルサウンド 風のリグレット」「Dの食卓2」をプレイし、そのどれもめちゃくちゃハマった。
賛否の激しいゲームなので、なかなかこれらに「ハマった!」と一緒に感動を共有できる人と出会わないのだが、ともかくハマった。

プレイステーションエキスポの事件とか、ちょうど僕自信が多感な時期だったこともあって、最高にクールで、飯野賢治という人にあっという間に惚れた。彼の著作は全部読んだ。

映画とか、音楽とか、デザインとか、そういう分野でぼくが「お、これかっこいいな」と感じる「感覚の物差し」の大部分は、この人の影響を受けている。
僕がグッとくるものの大半は、飯野賢治的な成分を有しているものだ。具体的にそれがどういうものであるかを言語化することはできないけれど。

彼のゲーム開発のエピソードで、「会社に泊まりこみで死にかけながら開発してる」という状況に憧れ、自分がIT業界に入る動機の数%くらいはそれへの憧れがあったりもした。今思えばただのデスマーチだし、絶対泊まり込みとか嫌だけど。

ふと、自分もゲームを開発する仕事をしていることに気づいた。

「遠回りしたけど、なんとなく飯野さんと同じ仕事してるなー」と勝手に思った。

これまでは、いろんな人から影響を受けたり、なにかに感動したりする人生を歩んできたわけだけど、ぼくに影響を与えてくれた人がこうして少しずついなくなる。
つまり、ぼくが今度は、誰かに影響を与えたり、感動してもらったりする人生にシフトしなければならないんだなー。そんな気がした。

心よりご冥福をお祈りします。

※写真は新宿ロフトプラスワンのイベントで撮ってもらったやつ

2013年2月14日木曜日

勉強会初体験とその後のことをさらしてみる

明日はエンジニアのお祭り、デブサミですねー。

たぶんその流れだと思うのですが、Twitterでこんなハッシュタグが流行ってました。

#初めて参加した技術系勉強会を晒す

僕の初めての勉強会参加は、2010年のOSC神戸ですね。

今でこそ、ソーシャルゲーム開発のプログラマとしていろいろ偉そうな事を言っていますが、当時の僕はバリバリのサラリーマンエンジニアでした。

2回の転職の末に中堅SIに入社しており、そこそこ安定していたので当時勤めていた会社に定年まで在籍するものだと信じていたし、毎月のように会社の偉い人とか上長とゴルフに行ったり、社内で出世してやるぜー、とか思ってました。

その反面、自分のキャリアがどんどんマネジメント的な色合いを帯び始め、「現場技術はオフショアでいけるんじゃね?」な流れに違和感も持っていたり、なんとなくモヤモヤする日々を送っていました。

SIという業界が、その頃からなんとなく閉塞感につつまれ、なんとかしないとな、という流れの中で、僕もいろいろな試みをしました。

OpenPNEを使って社内SNSを立ちあげたり、Redmineを導入してみたり。
なにかきっかけをつかもうと、思い付く限り新しいことをやってました。

そんな流れの中で、OSS界隈の情報収集をしよう、と出かけたのがOSC神戸だったかと思います。

いくつかのセッションに参加し、こんな世界があるんだ、と思いました。

どういう論理展開でそう思ったのか、はっきりと覚えてないですが、それまで、なんとなく「ひょっとしたら自分はこの会社で定年までいられないかもな」と思っていた気持ちと相まって、会社に依存するのではなく、エンジニアとして、どこに行っても通用するバリューがあれば、幸せになれるんじゃないかな、と思い始めました。

その後、7月に@ITの読者コラムニスト募集に応募して、エンジニアライフにコラムを書いたり、そのオフ会で初LTをしたり、社外活動の比重を増やして行きました。

少なくとも、勉強会という世界に出会わなければ自分の人生は今とはまったく違っていたのは確かです。

半分酔っ払って書いているので支離滅裂な文章になっているかもしれませんが、僕の勉強会初体験はこんな感じ。

2013年2月10日日曜日

勉強会勉強会の中の人やってきました。

DevLOVE関西 勉強会勉強会 のスタッフとして、開催のお手伝いをさせていただきました。

* まとめ:http://togetter.com/li/452510?page=1

元々、勉強会文化を拡げていきたいという思いもあるので、こういうメタな勉強会は何度か参加してきました。

* 勉強会初心者向け勉強会:http://daiksy.blogspot.jp/2012/02/study4bg.html
* ITコミュニティ祭り:http://daiksy.blogspot.jp/2011/09/it.html

勉強会の主催者は、みんな同じような悩みをもっています。

会場どうやって探すの?
スピーカーってどうやって呼ぶの?
ドタキャンで会場費が赤になるのコワイ  etc...

このパターンだと、スピーカーのコネはあるけど会場のあてがない人と、会場提供できるけどスピーカーのコネがない人が組めば問題はある程度解決するわけで、そういう情報共有とかしたいなー、というのを常々思っていました。

そこで、今回は皆さんのそういう疑問とか悩みを共有して解決しよう、というビアバッシュ形式のコーナーを設け、僕はそこでファシリテータを担当させていただきました。

うまく場をコントロールできたかわかりませんが、他のスタッフさんとか、参加者さんのフォローもいただき、なかなか盛り上がったのではないかと思います。

会場提供してくださった楽天さん。スタッフの皆さん、参加者の皆さん、どうもありがとうございました。

2013年2月3日日曜日

SIを卒業して1年経ったので振り返ってみる

2月1日で、転職してちょうど1年が経ちました。

受託開発なSIの世界から、コンシューマ向けの開発をする事業会社に転職して1年間過ごしてきたわけですが、正味のところどうだったのか、ちょっと振り返ってみたいと思います。

■転職理由はすべて叶えられたか?

僕が転職を決意したのは、以下の様な理由からでした。

・キャリアとか、収入とか、もろもろ含めた将来への不安

僕が転職を決意した頃のSIer界隈に漂う閉塞感は凄まじいものがありました。SIといってもいろいろな事業領域がありますから、あくまでも僕が携わる範囲の話ではありますが、ぶっちゃけ給料は下がりましたし、その影響で自動車を手放したりしました。
っていうか、いつまでリーマン・ショックががが、とか言ってるのかと。

・会社員ではなく、エンジニアでありたかった

SIの閉塞感、という話にも関連しますが、会社に依存する生き方では幸せになれないな、と思うようになりました。社外の勉強会やコミュニティに参加することで、その思いはより強くなりました。
フリーになる、とか起業する、という選択肢は自分には今のところないのですが、世の中が変化した際に、それに合わせて自分の立ち位置をフレキシブルに変えられる生き方をするのが、幸せになれるポイントかな、と思うようになりました。
そのためには、僕個人のバリューを高める必要があります。
自分がエンジニアとして高いレベルに成長するには、高いレベルのエンジニアたちが集まる場所で戦う必要がある、と思いました。
勉強会でレベルの高い人たちと関わって、刺激を受けるうちにそれをより強く確信しました。勉強会で刺激を受けているだけではダメだ。仕事という、一日のうち多くの時間を費やす場所で、こういう人たちと関わっていなければ、と。

・コンシューマを相手に仕事をしたくなった

これは完全に自分の趣味の問題なのですが、もっとマスの大きい仕事をしたいなと考えました。受託開発であっても、エンドユーザと直接やりとりをする仕事は楽しかったのですが、そのエンドユーザがもっと大勢いたらさらに楽しいのではないか、と思ったのです。
Twitterやブログなどで、多くの人から反応があった時の気持ちよさを仕事でも味わいたい、とも思いました。

⇒ 今のところ、上記の希望はすべてかなっています。

乙女ゲーの開発に携わることで、今までとは比べものにならないほど大勢のユーザさんに自分の作ったゲームで遊んでもらっていますし、チームのメンバーはみんな高いレベルで仕事をしていますし、収入も増えました。

■ 勉強会やコミュニティ活動について

転職してからの1年間で、自分の価値観やライフスタイルに決して小さくない変化がいろいろありましたが、最も考え方が変化したのは、勉強会やコミュニティ活動についてです。

以前まで、僕にとって勉強会は映画館のようなものでした。
休みの日に出かけて、ファンタジーの世界に触れて、気分がよくなって現実に戻る、というそんな感じ。
自分もスクリーンの中に入りたくて、発表したり、記事を書いたりもするのですが、やはりそこは日常とは少し切り離された世界である、という感覚でした。

そうして活動を続けているうちに、いつしか懇親会などで「お会いしたいと思ってました」とか「おお! 本物のだいくしーさんだ!」とか言ってもらえるようになりました。

去年の11月。DevLOVE関西で登壇する機会をいただき、自社の開発事例を発表しました。そのときにふと感じたことがあります。

2010年3月のOSC神戸。そこでいくつかのセッションを見た時、そこで登壇するエンジニアは雲の上の人でした。ああいうところで発表するエンジニアは、どんな人たちなんだろう。どんな世界が見えてるんだろう。
これが、僕が社外活動に参加しようと思った原点です。

DevLOVEという大きな勉強会で、50人の人の前で40分も喋っている。OSC神戸で自分が憧れたあっち側に、今まさに立ってるじゃないか。

去年1年、いろいろなことがありましたが、これは自分の中ですごく大きな出来事でした。

僕にとって「映画館」だった勉強会は、いつしか日常と地続きになっていたのです。

日常と地続きで社外活動をするためには、仕事においてもエンジニアとして充実していたほうが楽しいに決まっています。去年はいくつかの勉強会で、自社の事例紹介などもさせてもらいましたが、職場と、外の世界との地続き感は今後もこだわっていきたいと思っています。

■次の1年

この1年、Scalaとか、Playframeworkとか、アジャイルとか、とにかく未経験のことばかりでした。ようやく日常の業務もそつなくこなせるようになってきましたので、そろそろプラスアルファを考えたいな、と思っています。

一時は、勉強会参加を少し控えて、軸足を会社業務に大きく移そうかとも思ったのですが、そこはやはり両輪バランス良くやるほうがいいな、と考えを改めました。

個人的にはエンジニアとしての地力を鍛えつつ、社外でも何か去年の鹿駆動並に面白いことができたらなー、と思っています。

今年もよろしくお願いします。

2013年1月2日水曜日

他人のレベルが低いと思うのなら、自分の物差しのサイズをまずは疑え

どういう流れかよくわかってないのだけど、なにやらTwitterのタイムラインで大企業をdisってる感じのツイートを見かけたのだけど、これについて言いたいことがある。

IT業界で仕事をしていると、時々こういう場面によく出くわすんだよね。

「元請けベンダーが仕事してない」
「オレはITゼネコンで働いてるやつらより仕事できるはず」

その気持ちはすごくよく分かる。でもちょっと待って欲しい。
本当に君から見たその人達は、レベルが低い人なのか?

ひょっとしたら、自分の物差しが、その人のサイズを正確に測れるレベルに達してないだけなんじゃないか?

なぜ、そんな事を言うのかというと、僕自身が自分の物差しのサイズを強烈に意識した経験があるからだ。

僕は新卒で、社員20人ほどのITの会社で働いていた。仕事のほとんどは、特定派遣だ。
客先に常駐して、ITベンダーの指示に従ってシステム開発の末端に従事する仕事。

そこでは僕は「優秀な人」という評価を得ており、正直調子に乗っていた。

ITゼネコンと呼ばれる、大きな会社で働くSEよりも、自分はうまく仕事をやれる。だって現場では、高評価を得ているじゃないか。

そしてしばらくして、僕は転職することになる。ITゼネコンとまでは言わないまでも、社員500人ほどの中堅SIだ。

そこで働きはじめた当初、僕は自分のスキルがまったくここで仕事をするレベルで無いことを思い知る。

客先に常駐して、常駐先企業が受注した仕事のプログラムを組むことと、エンドユーザと相対して、自分たちで成果責任を負って開発を進める仕事では、必要なスキルや、やるべきことが大きく違う。

僕がかつて、「レベルが低い」と思っていた人たちは、僕の物差しで測れる範囲ではなく、もっと違う次元で戦っていたのだ。

立場が変われば観測される世界は異なるし、その世界のサイズを測るための物差しの種類も変わる。

自分の物差しで、あるサイズを測って、「この物体の幅は狭いなー」と思っても、実はその物体はとてつもなく縦方向に長い物体で、自分の物差しはその高さを測れないから最初から目に入らない。そういうことが世の中にはたくさんある。

大企業の人がレベル低いとか絶対に無いって。
大学入試とか、就職活動とか、そういう時点から勝ちを積み重ねた人たちなんだから。

そういう人を安易にdisってしまうと、自分の懐の狭さをさらけ出してしまうだけだと思うんだ。それはとっても恥ずかしいことなんだよ。

僕もたまにdisっちゃうことあるけどね。