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2011年5月8日日曜日
僕が置いてきたものがすべてそこにあった〜飯野賢治とヨシナガの「気になること。7」
新宿ロフトプラスワンに行ってきた。
目的はこれ。
生の飯野賢治さんに会える!? と思ってはるばる大阪から東京まで行ってきた。
飯野賢治さんは、僕の人格形成に多大な影響を与えてくれた人だと思う。元々はゲームクリエイターで、『Dの食卓』とか、『エネミー・ゼロ』を作った人。
ソニー・コンピュータエンタテインメントのイベントで、『エネミー・ゼロ』のプラットフォームをプレイステーションからセガサターンに移す、という発表をしてしまうというぶっ飛んだ人で、そういう感覚が高校生の僕にとって最高にクールだった。
当時は彼の名前がつくものはすべて目を通した。
雑誌のインタビュー、著作、そしてもちろんゲーム。たぶん、あの頃に世の中に出ていた飯野さん関連の物は、ほとんど押さえていたんじゃないかな。むさぼるように読んだり、遊んだりした。
『エネミー・ゼロ』はゲームをやりながらガチで泣いた唯一のゲームだし、『リアルサウンド〜風のリグレット〜』は細かい部分はもう覚えてないけれど、あのゲームをプレイしていた頃の匂いとか、空気感とか、そういうものは消えずに残っている。
僕が世の中のいろいろなものに対して、格好いいとか、面白いと思うための物差しを形成するうえで、飯野さんの影響は相当受けていると思う。
飯野さんの作品を知らなければ、マイケル・ナイマンの来日コンサートにはたぶん行ってななかっただろうな。
もう一つ、新宿ロフトプラスワンの話。
高校生の頃、「誠のサイキック青年団」という深夜ラジオが大好きで、リスナー向けのイベントなんかにも良く行っていた。
その番組のパーソナリティに竹内義和さんという方がいて、この人のセンスとかも僕の物差しに凄い影響を与えてると思うんだけれど、彼が良く新宿ロフトプラスワンでイベントをやっていたわけよ。
で、そのイベントが面白そうで、ムチャクチャ行きたいんだけれど、当時高校生だった僕がそんなに気軽に東京まで行けるはずもなく、新宿ロフトプラスワンといえば物凄い憧れの場所だった。
で、今回。飯野さんのTwitterでこのイベントの存在を知ったのだけれど、「飯野賢治 + 新宿ロフトプラスワン」ってもう僕にとっては冷静さを保てなくなるほどの組み合わせだったわけだ。なんでこんなイベントを第7回に到るまで知らなかったのかと、後悔するほどに。
だから本当に前の晩は興奮して眠れなかった。
こんなに幸せな空間は、ここ数年でなかったもしれないと思うほどに幸せだった。
新宿ロフトプラスワンの壁には、歴代の出演者のポラロイド写真が貼ってあるのだけれど、休憩時間にそれを見てリアルに泣いたよ。
竹内義和さんとか、中島らもさんとか(らもさんは大阪人にとって特別な人だからね)、僕が好きだった人たちの写真がたくさんあるし、振り返れば檀上に飯野さんがいるし、そしてここは新宿ロフトプラスワンだし…。
青春の頃に、僕が大切にしていたもの、そして少しずつ忘れたり、手放していったものが、あの瞬間、全部そこにあったから。
イベントのレポートを書こうと思ったら、ただのつまらない自分語りになってしまったけれど、このイベントに携わった全ての人達に感謝したいです。
本当に、本当にありがとうございました。
今、このタイミングでこういう経験ができて良かった。
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