2013年2月26日火曜日

ドラクエ7のパズルが解けんのでコード書いた。

ドラクエのバロックタワーのパズル。
図に書いても全然解けん。

で、あやぴーさんもコード書いて遊んでたので、ぼくもコード書いて解くことにした。


組み合わせを作るところで力尽きで超適当になってるけどww

とりあえず解けた。
やっと先へ進める。

2013年2月22日金曜日

飯野賢治さんのこと



木曜日の朝。なんとなく胸がムカムカして、便の調子も良くないので午前半休を取って体調を整え、午後から出社しようと思った。

そうこうするうちに寒気がひどくなり、体温を計ると39度もある。いわゆるノロウィルスとやらにやられたらしい。

数えきれないほどトイレに行き、バランスを崩してトイレのドアノブに頭を強打するなど命の危険を感じながらの闘病。

ぼくが熱を出して寝こむ時には、なぜかきまって悲しい事件がおきる。

2001年にインフルエンザで寝込んだ。9月11日。布団の中からWTCが倒壊するのを見た。

東日本大震災のあった日。熱を出して会社を早退。最初、地面が揺れているのか、自分が熱にうなされてふらふらしているのか、しばらく理解できなかった。

いいかげん眠っているのにも疲れたので、iPhoneを寒気でガタガタと震える手でつかみ、Twitterを見た。

ぼくが熱を出して寝こむ時には、なぜかきまって悲しい事件がおきる。

飯野賢治さんが亡くなった。なんということだ。

ぼくはセガ・サターンに移植された「Dの食卓」から「エネミー・ゼロ」「リアルサウンド 風のリグレット」「Dの食卓2」をプレイし、そのどれもめちゃくちゃハマった。
賛否の激しいゲームなので、なかなかこれらに「ハマった!」と一緒に感動を共有できる人と出会わないのだが、ともかくハマった。

プレイステーションエキスポの事件とか、ちょうど僕自信が多感な時期だったこともあって、最高にクールで、飯野賢治という人にあっという間に惚れた。彼の著作は全部読んだ。

映画とか、音楽とか、デザインとか、そういう分野でぼくが「お、これかっこいいな」と感じる「感覚の物差し」の大部分は、この人の影響を受けている。
僕がグッとくるものの大半は、飯野賢治的な成分を有しているものだ。具体的にそれがどういうものであるかを言語化することはできないけれど。

彼のゲーム開発のエピソードで、「会社に泊まりこみで死にかけながら開発してる」という状況に憧れ、自分がIT業界に入る動機の数%くらいはそれへの憧れがあったりもした。今思えばただのデスマーチだし、絶対泊まり込みとか嫌だけど。

ふと、自分もゲームを開発する仕事をしていることに気づいた。

「遠回りしたけど、なんとなく飯野さんと同じ仕事してるなー」と勝手に思った。

これまでは、いろんな人から影響を受けたり、なにかに感動したりする人生を歩んできたわけだけど、ぼくに影響を与えてくれた人がこうして少しずついなくなる。
つまり、ぼくが今度は、誰かに影響を与えたり、感動してもらったりする人生にシフトしなければならないんだなー。そんな気がした。

心よりご冥福をお祈りします。

※写真は新宿ロフトプラスワンのイベントで撮ってもらったやつ

2013年2月14日木曜日

勉強会初体験とその後のことをさらしてみる

明日はエンジニアのお祭り、デブサミですねー。

たぶんその流れだと思うのですが、Twitterでこんなハッシュタグが流行ってました。

#初めて参加した技術系勉強会を晒す

僕の初めての勉強会参加は、2010年のOSC神戸ですね。

今でこそ、ソーシャルゲーム開発のプログラマとしていろいろ偉そうな事を言っていますが、当時の僕はバリバリのサラリーマンエンジニアでした。

2回の転職の末に中堅SIに入社しており、そこそこ安定していたので当時勤めていた会社に定年まで在籍するものだと信じていたし、毎月のように会社の偉い人とか上長とゴルフに行ったり、社内で出世してやるぜー、とか思ってました。

その反面、自分のキャリアがどんどんマネジメント的な色合いを帯び始め、「現場技術はオフショアでいけるんじゃね?」な流れに違和感も持っていたり、なんとなくモヤモヤする日々を送っていました。

SIという業界が、その頃からなんとなく閉塞感につつまれ、なんとかしないとな、という流れの中で、僕もいろいろな試みをしました。

OpenPNEを使って社内SNSを立ちあげたり、Redmineを導入してみたり。
なにかきっかけをつかもうと、思い付く限り新しいことをやってました。

そんな流れの中で、OSS界隈の情報収集をしよう、と出かけたのがOSC神戸だったかと思います。

いくつかのセッションに参加し、こんな世界があるんだ、と思いました。

どういう論理展開でそう思ったのか、はっきりと覚えてないですが、それまで、なんとなく「ひょっとしたら自分はこの会社で定年までいられないかもな」と思っていた気持ちと相まって、会社に依存するのではなく、エンジニアとして、どこに行っても通用するバリューがあれば、幸せになれるんじゃないかな、と思い始めました。

その後、7月に@ITの読者コラムニスト募集に応募して、エンジニアライフにコラムを書いたり、そのオフ会で初LTをしたり、社外活動の比重を増やして行きました。

少なくとも、勉強会という世界に出会わなければ自分の人生は今とはまったく違っていたのは確かです。

半分酔っ払って書いているので支離滅裂な文章になっているかもしれませんが、僕の勉強会初体験はこんな感じ。

2013年2月10日日曜日

勉強会勉強会の中の人やってきました。

DevLOVE関西 勉強会勉強会 のスタッフとして、開催のお手伝いをさせていただきました。

* まとめ:http://togetter.com/li/452510?page=1

元々、勉強会文化を拡げていきたいという思いもあるので、こういうメタな勉強会は何度か参加してきました。

* 勉強会初心者向け勉強会:http://daiksy.blogspot.jp/2012/02/study4bg.html
* ITコミュニティ祭り:http://daiksy.blogspot.jp/2011/09/it.html

勉強会の主催者は、みんな同じような悩みをもっています。

会場どうやって探すの?
スピーカーってどうやって呼ぶの?
ドタキャンで会場費が赤になるのコワイ  etc...

このパターンだと、スピーカーのコネはあるけど会場のあてがない人と、会場提供できるけどスピーカーのコネがない人が組めば問題はある程度解決するわけで、そういう情報共有とかしたいなー、というのを常々思っていました。

そこで、今回は皆さんのそういう疑問とか悩みを共有して解決しよう、というビアバッシュ形式のコーナーを設け、僕はそこでファシリテータを担当させていただきました。

うまく場をコントロールできたかわかりませんが、他のスタッフさんとか、参加者さんのフォローもいただき、なかなか盛り上がったのではないかと思います。

会場提供してくださった楽天さん。スタッフの皆さん、参加者の皆さん、どうもありがとうございました。

2013年2月3日日曜日

SIを卒業して1年経ったので振り返ってみる

2月1日で、転職してちょうど1年が経ちました。

受託開発なSIの世界から、コンシューマ向けの開発をする事業会社に転職して1年間過ごしてきたわけですが、正味のところどうだったのか、ちょっと振り返ってみたいと思います。

■転職理由はすべて叶えられたか?

僕が転職を決意したのは、以下の様な理由からでした。

・キャリアとか、収入とか、もろもろ含めた将来への不安

僕が転職を決意した頃のSIer界隈に漂う閉塞感は凄まじいものがありました。SIといってもいろいろな事業領域がありますから、あくまでも僕が携わる範囲の話ではありますが、ぶっちゃけ給料は下がりましたし、その影響で自動車を手放したりしました。
っていうか、いつまでリーマン・ショックががが、とか言ってるのかと。

・会社員ではなく、エンジニアでありたかった

SIの閉塞感、という話にも関連しますが、会社に依存する生き方では幸せになれないな、と思うようになりました。社外の勉強会やコミュニティに参加することで、その思いはより強くなりました。
フリーになる、とか起業する、という選択肢は自分には今のところないのですが、世の中が変化した際に、それに合わせて自分の立ち位置をフレキシブルに変えられる生き方をするのが、幸せになれるポイントかな、と思うようになりました。
そのためには、僕個人のバリューを高める必要があります。
自分がエンジニアとして高いレベルに成長するには、高いレベルのエンジニアたちが集まる場所で戦う必要がある、と思いました。
勉強会でレベルの高い人たちと関わって、刺激を受けるうちにそれをより強く確信しました。勉強会で刺激を受けているだけではダメだ。仕事という、一日のうち多くの時間を費やす場所で、こういう人たちと関わっていなければ、と。

・コンシューマを相手に仕事をしたくなった

これは完全に自分の趣味の問題なのですが、もっとマスの大きい仕事をしたいなと考えました。受託開発であっても、エンドユーザと直接やりとりをする仕事は楽しかったのですが、そのエンドユーザがもっと大勢いたらさらに楽しいのではないか、と思ったのです。
Twitterやブログなどで、多くの人から反応があった時の気持ちよさを仕事でも味わいたい、とも思いました。

⇒ 今のところ、上記の希望はすべてかなっています。

乙女ゲーの開発に携わることで、今までとは比べものにならないほど大勢のユーザさんに自分の作ったゲームで遊んでもらっていますし、チームのメンバーはみんな高いレベルで仕事をしていますし、収入も増えました。

■ 勉強会やコミュニティ活動について

転職してからの1年間で、自分の価値観やライフスタイルに決して小さくない変化がいろいろありましたが、最も考え方が変化したのは、勉強会やコミュニティ活動についてです。

以前まで、僕にとって勉強会は映画館のようなものでした。
休みの日に出かけて、ファンタジーの世界に触れて、気分がよくなって現実に戻る、というそんな感じ。
自分もスクリーンの中に入りたくて、発表したり、記事を書いたりもするのですが、やはりそこは日常とは少し切り離された世界である、という感覚でした。

そうして活動を続けているうちに、いつしか懇親会などで「お会いしたいと思ってました」とか「おお! 本物のだいくしーさんだ!」とか言ってもらえるようになりました。

去年の11月。DevLOVE関西で登壇する機会をいただき、自社の開発事例を発表しました。そのときにふと感じたことがあります。

2010年3月のOSC神戸。そこでいくつかのセッションを見た時、そこで登壇するエンジニアは雲の上の人でした。ああいうところで発表するエンジニアは、どんな人たちなんだろう。どんな世界が見えてるんだろう。
これが、僕が社外活動に参加しようと思った原点です。

DevLOVEという大きな勉強会で、50人の人の前で40分も喋っている。OSC神戸で自分が憧れたあっち側に、今まさに立ってるじゃないか。

去年1年、いろいろなことがありましたが、これは自分の中ですごく大きな出来事でした。

僕にとって「映画館」だった勉強会は、いつしか日常と地続きになっていたのです。

日常と地続きで社外活動をするためには、仕事においてもエンジニアとして充実していたほうが楽しいに決まっています。去年はいくつかの勉強会で、自社の事例紹介などもさせてもらいましたが、職場と、外の世界との地続き感は今後もこだわっていきたいと思っています。

■次の1年

この1年、Scalaとか、Playframeworkとか、アジャイルとか、とにかく未経験のことばかりでした。ようやく日常の業務もそつなくこなせるようになってきましたので、そろそろプラスアルファを考えたいな、と思っています。

一時は、勉強会参加を少し控えて、軸足を会社業務に大きく移そうかとも思ったのですが、そこはやはり両輪バランス良くやるほうがいいな、と考えを改めました。

個人的にはエンジニアとしての地力を鍛えつつ、社外でも何か去年の鹿駆動並に面白いことができたらなー、と思っています。

今年もよろしくお願いします。