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2013年2月22日金曜日
飯野賢治さんのこと
木曜日の朝。なんとなく胸がムカムカして、便の調子も良くないので午前半休を取って体調を整え、午後から出社しようと思った。
そうこうするうちに寒気がひどくなり、体温を計ると39度もある。いわゆるノロウィルスとやらにやられたらしい。
数えきれないほどトイレに行き、バランスを崩してトイレのドアノブに頭を強打するなど命の危険を感じながらの闘病。
ぼくが熱を出して寝こむ時には、なぜかきまって悲しい事件がおきる。
2001年にインフルエンザで寝込んだ。9月11日。布団の中からWTCが倒壊するのを見た。
東日本大震災のあった日。熱を出して会社を早退。最初、地面が揺れているのか、自分が熱にうなされてふらふらしているのか、しばらく理解できなかった。
いいかげん眠っているのにも疲れたので、iPhoneを寒気でガタガタと震える手でつかみ、Twitterを見た。
ぼくが熱を出して寝こむ時には、なぜかきまって悲しい事件がおきる。
飯野賢治さんが亡くなった。なんということだ。
ぼくはセガ・サターンに移植された「Dの食卓」から「エネミー・ゼロ」「リアルサウンド 風のリグレット」「Dの食卓2」をプレイし、そのどれもめちゃくちゃハマった。
賛否の激しいゲームなので、なかなかこれらに「ハマった!」と一緒に感動を共有できる人と出会わないのだが、ともかくハマった。
プレイステーションエキスポの事件とか、ちょうど僕自信が多感な時期だったこともあって、最高にクールで、飯野賢治という人にあっという間に惚れた。彼の著作は全部読んだ。
映画とか、音楽とか、デザインとか、そういう分野でぼくが「お、これかっこいいな」と感じる「感覚の物差し」の大部分は、この人の影響を受けている。
僕がグッとくるものの大半は、飯野賢治的な成分を有しているものだ。具体的にそれがどういうものであるかを言語化することはできないけれど。
彼のゲーム開発のエピソードで、「会社に泊まりこみで死にかけながら開発してる」という状況に憧れ、自分がIT業界に入る動機の数%くらいはそれへの憧れがあったりもした。今思えばただのデスマーチだし、絶対泊まり込みとか嫌だけど。
ふと、自分もゲームを開発する仕事をしていることに気づいた。
「遠回りしたけど、なんとなく飯野さんと同じ仕事してるなー」と勝手に思った。
これまでは、いろんな人から影響を受けたり、なにかに感動したりする人生を歩んできたわけだけど、ぼくに影響を与えてくれた人がこうして少しずついなくなる。
つまり、ぼくが今度は、誰かに影響を与えたり、感動してもらったりする人生にシフトしなければならないんだなー。そんな気がした。
心よりご冥福をお祈りします。
※写真は新宿ロフトプラスワンのイベントで撮ってもらったやつ
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